自転車文化とのかかわり
グローバルタイヤメーカーの子会社に入社し39年になります。販売部門で従事しながらサイクルロードレースに出場することはもちろん、サイクルムーブメントに参加するなど、人生の大半を自転車文化に関わってきました。ここまでやれてきたのも皆様に支えられてきたおかげであり感謝しております。また誇らしく大切にしなければならないと思っております。
過去を振り返ると選手だった性でしょうか?良かったことよりもどうしても過酷だったことしか先に立ってしまいます。
入社した頃の81年は仕事を早上がりして午後3時半から暗くなるまでペダルを漕いでいました。3・4人のグループでスタートしグループの仲間とちぎり合いが練習でした。まさしく毎日ステージレースと言っても過言ではない日々を送っていました。
まだこの頃はスポーツ飲料もなかった時代であり、科学的根拠を理論立てて説明できる人は誰もいませんでした。したがって飲まず食わずして苦しいことを我慢しながら走りきれる精神力と根性だけが強くなる条件でした。
その過酷な練習に身体がついていけず選手から身を引く者も少なくなかった中、真逆に日本の環境では強くなれないため、武者修行としてヨーロッパににいく者もいました。私の場合は身体が頑丈だったこともあって、また所属が大手自転車メーカーであったため経済と安定・安心を選び日本で強くなることにしました。会社の技術陣が寸法と乗り味を聞き入れてくれ自分好みの自転車に乗っていました。それが他のチームからはうらやむ目で見られていて誇らしく優越感ありました。しかしこれが「何が何でも勝たなければならない」という使命感を自分で作り出したプレッシャーがいい緊張感でした。
若きあの頃は凄まじく過酷な練習を乗り越えることができた自信だったかもしれません。
その使命感はやり遂げたとき周囲のは喜びその感動がまた私を背中を押してくれここまで成長させてくれたのだろうと思います。
あれから39年経った今、世界を目指す若者には科学的進歩とともにトレーナーや栄養士またドクター・メカニックなど素晴らしい環境が整った時代になりました。
生きている間に世界の舞台で活躍する日本人をliveで見れることを楽しみにしています。
今も自転車は好きでyoutubeでレース観戦しますがうらやましく映ります。また年甲斐もなくあの世界で走りたかったーと悔しさが込み上げてくることもあります。
とはいっても叶うものではなく、今は過去に培った経験と知識を活かし、「生活習慣病」予防や改善に向けた「健康な身体づくり」に取り組んでいます。
1カ月に300~500㎞通勤やポタリングなどで距離をかさねています。いつか80年代の戦友と肩を並べて走りたいと思って走る時間がとてもすがすがしく取り組むことができています。
トレーニングに励む理由には80年代の戦友と走るためだけではなく、食文化や社会環境に加え医学の進歩で人生100歳時代到来です。
あと40年、他人の手を借りずいつまでも健康でありたく、明日の「健康」に「期待・関心・感謝」をこめ、「情熱」的に活動していきたいと思ってます。
もう一つ加えるとしたら美味しいものを摘まみながら自転車の話題で談笑したいですね。2021.7.01
1980インターハイ
チームパシュートで優勝メンバー 左から滝川さん、小生、藤野さん、佐藤さん
1986ツールドラブニール
左)大石さん、小生、森さん、鳥屋尾さん
1988パリ~ニース
1988ソウルオリンピック
氏名鈴木光広 1963年2月生まれ 福島県石川郡出身 趣味は自転車団欒 埼玉県上尾市在住
現在、グローバルタイヤメーカーの子会社でブランド推進本部に所属しブランドの広報活動を行っています。自転車に期待される役割として「社会・地球環境の改善」「健康」などがあります。これまでのサイクリングで得た知識にに「運動による効果」加えた取り組みをしたく、この度「健康管理士一般指導員」の資格を取得しました。基礎疾患にかからない、人の世話にならない。いつまで楽しく明るく健康的に生活したいという思いです。皆様にご協力頂きながら頑張りたいと思います。
※プライベートとビジネスの領域が混同しています。よって誤認を避ける表現にさせて頂いています。
オリンピアンの系譜 第1回 鈴木光広
〈前編〉 "奮い立たせてくれた人たち"
オリンピアンの系譜 第1回 鈴木光広
〈後編〉 "不屈の魂"
資格 |
自転車競技連盟審判資格 ロード・ラック・シクロクロス・MTB・BMX |
サイクリングツアーガイド認定 |
日本スポーツ協会 公認スポーツ指導者 自転車競技コーチ |
健康管理能力検定1級 |
健康管理士一般指導員 |
自転車組立整備士 |
自転車技士 |
戦歴
西暦 | 大会名/成績 |
1993 | 世界選手権(ノルウェー)出場 |
1989 | 世界選手権(フランス)出場 |
1988 | ソウルオリンピック ロードレース25位 |
1988 | パリ~ニース127位 |
1987 | 世界選手権(オーストリア)出場 |
1986 | ツールドラブニール ステージレース108位 |
1985 | 世界選手権(イタリア)出場 |
1985 | 全日本選手権アマチュア自転車競技選手権 ロードレース1位 |
1984 | ツールドラブニール ステージレース出場 |
1984 | 全日本選手権アマチュア自転車競技選手権 ロードレース 1位 |
1980 | ジュニア世界選手権 ロードレース チームロードレース チームパシュート出場 |
1980 | 高校体育総合大会自転車競技(通称インターハイ)チームロードレース チームパシュート1位 |
1977 | 高校体育総合大会自転車競技(通称インターハイ)チームロードレース1位 |